TKさまご感想 ①
(これは、いち受講者様のご感想です。どなたにも同じように起こるものではありません。)
manana様
お世話になります、Kです。
昨日はどうもありがとうございました。
お試しセッションの感想をお送りします。
まず、私のそれまでの経験等をお話するところからセッションが始まりましたが、
その段階で体がとても熱くなってきました。
そして共鳴となり、目を閉じてmananaさんに意識を向けていると頭部に圧力を感じ、
そのうち乗り物酔いのようなふらつきや、辺りが回転しているような感覚が起こりました。
次に目を開けてmananaさんの目をみていると、いつの間にか色彩感が変わり、
ハレーションを起こしたようにチラつき始めました。
目の前の空間は歪み出し、距離感が失われて視界が平面的になっていきました。
体は重く、動かそうとしても動かせないように感じられました。
再び目を閉じてハート に意識を向けていると、首の辺りを押さえるような圧迫感を感じましたが、
mananaさんから「喉の詰まりは浄化によって徐々に通ってきます」との言葉があり、
私が無言でいるにもかかわらず、こちらの状態を把握してらっしゃるのだと驚きました。
その後、体の感覚がどんどん希薄になっていき、内側に広大なスペースが現れました。
それはまるで、私の中に宇宙があるかのようでした。
誘導が終わって目を開けると視界はまだチラついたままでしたが、
落ち着いてくるにつれて、周囲がとてもハッキリと立体的に見えてきました。
自分の目を通して見るというよりも、自分が体の外に広がって認識しているという感覚で、
mananaさんにお話しすると、それが意識だとのことでした。
私は今まで様々なセミナーやセッションを受講しましたが、多くは方法論や概念的な説明ばかりで、
今回のように受講生に直に体験させ、これだと明言してくれるものはありませんでした。
初めて「あなたは既にそれだ」や「思考が静まると気づきが起きる」等、
それまでただの知識だった覚者の言葉の一端を理解したように感じました
実際に体験してみると、それはたしかに静寂でした。
不思議なことに、その時の正直な気持ちは「ああ、これは知っている」というもので、
身近どころかずっとそこにあったのに、なぜ気づかなかったのだろうと思いました。
ただmananaさんは「思考はまた戻ってきますから、これがスタートです」とおっしゃったので、
やはり定着させるのには時間がか かるのでしょう。
でも実感として、体験する前と後では別人になったと言っても過言ではありませんし、
だいぶ元には戻ったものの、一日経った今でも、それまでとは明らかに感覚が異なっています。
本当に興味深い体験をさせていただき、どうもありがとうございました。
以上です。
そういえば今日の出勤中、目を向けた対象と自分との距離が一気に縮むという経験をしました。
昨日おっしゃっていた、見た瞬間にそれを体験するというのはこのことでしょうか。
とにかく、ぜひ今後も継続してセッションを受けたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。
K
~☆~☆~☆~
以下、mananaからのお返事。
Kさま
おはようございます。
長文のご感想をいただき、びっくりしています(^^)
ありがとうございます。
さすがに、多くの体験をしてきただけあって、かなり敏感な反応です。
対面するだけで共振共鳴現象は起きますから、実は対面だけ、お話だけでも効果という側面はあるわけです。
最初の段階でめまいのような回転感覚があったのも、敏感な反応の現れです。(これはむしろ、既に脳の変容が起こり始めていることです)
アイコンタクトでは、第6チャクラ(サードアイ)を刺激して活性~覚醒を促すために、脳が変容を始めて色々な体験をします。
この辺はヘミシンクやディクシャなどとも似ているかも知れません。
ハートはなかなか反応がなかったので、誘導で開かれるよう促しました。
ここから最後の瞑想の段階は脳波がα波~θ波になるため、リラックスしかつ躍動的な体験が可能となるので、それを促します。
少し誘導しますが、体験は自己そのもの(意識)の体験となるのです。
誘導が終わって目を開けると視界はまだチラついたままでしたが、
落ち着いてくるにつれて、周囲がとてもハッキリと立体的に見えてきました。
自分の目を通して見るというよりも、自分が体の外に広がって認識しているという感覚で、
mananaさんにお話しすると、それが意識だとのことでした。
ここがこのお試しセッションで一番肝心な部分です(^^)
体験してそれがそうと知ることが、一番早いわけですね。
本やブログをいくら読んで知識を増やしても、体験と結びつかなければ気づきは起こりません。
また逆に、神秘的な体験をいくらしても、気づきがなければ自我の増徴に繋がることすらあるわけです。
気づきを気づきと知ることが、最も大切なことと言えます。
不思議なことに、その時の正直な気持ちは「ああ、これは知っている」というもので、
身近どころかずっとそこにあったのに、なぜ気づかなかったのだろうと思いました。
これは、ほとんど誰もがそう感じることです。
なので笑うしかなくなる、壮大なコント、みたいに言われます。
それくらいごく当たり前のこれが、自我が邪魔して気づいてなかったのでした。
でも実感として、体験する前と後では別人になったと言っても過言ではありませんし、
だいぶ元には戻ったものの、一日経った今でも、それまでとは明らかに感覚が異なっています。
そのとおりですが、今回Kさんは思ったより大きな体験となったようですね。
本質の自己である開かれた明晰さが続いていますから。
これまでの準備がしっかりできていたということでしょう。
そういえば今日の出勤中、目を向けた対象と自分との距離が一気に縮むという経験をしました。
昨日おっしゃっていた、見た瞬間にそれを体験するというのはこのことでしょうか。
どんな感覚だったのか良くは分からないのですが、体験と気づきは離れていないというそれを、そういう形で観たのでしょうね。
こういうことは脳のイメージからやってくるようで、一時的な体験と思います。
ありがとうございました。
manana
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